正直感想ブログにも飽きてきていて、面倒だからやめようかとも考えたけど、それは読まれることの気恥ずかしさを改めて感じてきているからと思うと、もう少し頑張って続けた方が良い気がした。恥は捨てて良いものでは無いけれどなんでもかんでも恥ずかしがると、それはそれで何もできなくなる気がする。批評と紹介の間にある感想ぐらいの気分の文章はある程度残しておきたい。今月は色々と出かけた月でもある。とりあえずいつも通り見た映画の感想から。
映画
『緋色の街 / スカーレット・ストリート』 監督:フリッツ・ラング
カメラをやってる白岩さんに薦められて見た。良かった。こういうタイプの話はどの時代どの国にもあるんだなあ、みたいなことを思った。内田吐夢の妖刀物語なんかもこの手の話だし、あれの原作は江戸時代からあることを思えば、純朴な中年が悪い女性に騙されるなんて話は、まあいつまでも起こりうるんでしょう。あとは悪役俳優のいかにも小狡そうな見た目は立派だなあというか、こんなに情報のまとまった人間が本当にいたら凄いなとか思った。そこに感動もするし、多少は白けもする。
『ラブホテル』 監督:相米慎二
人生で一番好きな映画かもしれない。1年振りぐらいに見てそう思った。あまり知らない相手と話すときの、お互い話すことが無くて黙ってしまうあの気まずさが好きだと思った。美しい時間だと思う。お互いを気遣う、無言の男女の間にはなんと美しく甘い感傷が流れるのだろう。あの美しい一瞬を切り取った映画は今まで見たことが無い気がする。他にも良いシーンはいっぱいあるけれど、今回は特にあのタクシーの中での無言の二人に心が震えた。U-NEXTにあるから暇な人は見て欲しい。成人映画です。
読んだ本
色々読めばそれだけ色々考えるけど、書くのはめんどくさい。Xに投稿するぐらいの気安さでちょうど良いんじゃないかと思う。まあ面白くなかったこととか書いてもしょうがないよなとは思うけど。
『愛情旅行』 著者:平林たい子
つまらなくは無いけれど、美人妻の不倫の話にしては情欲が旺盛で、それが平林たい子の描く性のみっともなさと相まってなんというか香気漂う”むんむんのメロドラマ”みたいな、なんだか間の抜けたエロ小説みたいだった。尽くす相手がアナキストじゃなくて右翼政治家だったり、主人公が自立した職業婦人だったりとまあ戦後の雰囲気を醸してるようには思うけれど、それが何かになっていたとは思えず……。円地文子の解説が結構ガッツリ作品の問題点を指摘していて、作家同士の解説には緊張感が合って良いなと思った。
『鍵 / 瘋癲老人日記』 著者:谷崎潤一郎
川端康成の眠れる美女を読んだときに、老人の性欲を描いた小説が読みたいと思って、ずっと気になっていたのを漸く読んだ。大傑作。どっちも死ぬほど面白かった。まず川端康成とは向いてる方向が全然違うのが良かった。
もうすぐ死ぬ老人を捕まえてその情欲が何に結びついているのかを考えたときに、川端康成はそこに至るまでの時間を見て、谷崎潤一郎はそれから死ぬまでの時間を見るのだなとか思った。つまり、前者は通り過ぎた長い時間の話だから虚無や嫌悪が横たわっているのに対して、後者は残りの時間をどれだけ色濃く過ごすかの話だからとにかく欲望が旺盛。わき目も降らず欲望に向かっていくその推進力が老齢と結びついている。川端の描く老人は飯なんかあんまり食べないのに、谷崎の描く老人はバクバク食うしガンガン酒を飲む。その結果グングン血圧は上がって、死ぬかもしれないのにセックスがやめられない。天晴と言いたいほどに逞しいし、その逞しさは決して人生による肯定なんかでは無く、真っ暗な虚無が大口を開けたような冷たさに裏付けされている。この美の至り方は他に類を見ない達成なんじゃないかと思う。刺青とか陰影礼賛とか読んだうえで、この作家は生涯同じものを追求していたように思う。それが何であるかは色々言えるだろうけど、一つ”日本的なるもの”を見つめた作家として偉大なんじゃないかと思った。
『日本文学集 谷崎潤一郎 Ⅰ・Ⅱ』 著者:谷崎潤一郎
刺青、少年、幇間、卍、蓼食う虫、盲目物語、春琴抄、少将滋幹の母、細雪を読んだ。どれも印象深くて感想が難しい。
まず初期作から徹底して下品なものを描こうとするというか、おしっこかけたり顔にオナラしたり、相手に対する気遣いの無い嘲弄がさらりと描かれる。その嘲弄に嫌悪が無いのか、あっさりと描写されるのが不気味な暗さを持っているように思う。少年のSMスカトロもそうだし幇間の道化っぷりもそうだけど、人の内面というものを全く信用してないんじゃないかみたいなことを思った。それは人間嫌いみたいな意味合いでは無くて、人の心みたいなものの存在をそもそも認めていなくて、肉体と関係とその揺らぎぐらいに人間を捉えているんじゃないかと思った。幇間のラストは妖怪の心に触れるような冷たさがある。
良かったのは蓼食う虫。お互いを近代的な主体と認め合うと、恋愛が出来なくなって夫婦関係は白け切った末に何の決断もできなくなるのは、谷崎のマゾヒズムの裏返しだと思う。この近代の行き詰まりは、陰影礼賛以降に繋がる谷崎の問題意識を理解するためにも重要なんじゃないかとか思った。自分を踏んでくれる女の人を求めるのは確かに浅ましい欲望ではあるんだけど、果たして西洋的な個人同士の恋愛観が日本人のためになるかはわからない。恐らく谷崎はもっとぼんやりなものを求めていたようにも思う。人形遊びや永遠女性を求める心持に流れている、どこか夢見心地な、曖昧でハッキリしない闇のように模糊とした認識を生きることが、明治に生まれた谷崎の近代批判なのでは、とか思って見た。これは細雪のぼんやりした感じにも通じる気がする。アンナ・カレーニナの社交界での入り乱れる恋愛模様とは対照的に、大阪の、四姉妹の中で特にぼんやりした雪子に舞い込む縁談をなんとなく受けては断り続けて、なんだかんだと同じような生活に戻りながら、少しずつ時局に流されていく様は、谷崎の作品の中でも突出してぼんやりした空気がある。これを戦時下に軍から禁止されながらも隠れて書き続けたのは、それなりに批判的な意図があったんじゃないかとも思う。
歳を感じさせない、慎ましやかな日本美人で、いかにも永遠女性的な雪子の下痢が止まらないのも印象的だ。この身体の汚い部分をわざわざ書き添えようとするのは、やはりこれも西洋流の近代化に則ろうとする日本への批判精神も多分に含まれているように思う。美しく立派な精神と身体は全くもって幻想に思えるし、その分離した前提を乗り越えることを、”日本の”近代文学の中での実践で試みることが大きい問題意識だったように思う。つまり、私と言葉が分離していって、どちらかばかりが自由になって勝手に動き回るのが近代文学だとしたときに、その主客の分離を統合し、主客未分のものを探すのが近代日本文学の挑戦だったんじゃないだろうか。だからこそ日本の近代文学は人称の問題がよく取りざたされるのでは……みたいなこの辺はもう雑感の範疇。大作家に腰を据えて向き合うのは心から楽しいと思える。
ここまで書いたうえで、最高傑作はやはり春琴抄なんじゃないかと思う。主従の関係に身を尽くした二人の、ある種身も蓋もないような生涯が艶やかな文体で書き起こされた奇跡的な小説だと思う。見えない世界で生きるということは、二人にとっては全てが暗闇だ。その暗闇の中で思うように生きることは、在ることを置いてけぼりにすることでもあるし、その美しさはまさしく日本的陰影の美の世界だと思う。この谷崎哲学は、あらゆることをハッキリさせたがり、立場や文脈をどんどん表明し合って、私が何であるかを世界にアピールしたがる昨今の様々な風潮への批判としても、十分に有効な気がする。我々は、少なくとも日本的大衆は、そこまでハッキリした世界に生きる必要は無いんじゃないかと思う。自分としても、しばらくは身も蓋も無いものやみっともないものについて考えたいし、作品にしたいと思っている。
『谷崎潤一郎随筆集』 著者:谷崎潤一郎
陰影礼賛の話はそれなりに色々言えそうだけど、実際読むとそんなに面白くはないから割愛。それよりも懶惰の説、色情及び恋愛、私の見た大阪及び大阪人とかの方が面白かった。大阪弁の敬語の少なさ、言葉の情報量の少なさを品位と思うのはわかる気がする。現代的なカクカクした言葉遣いの方が気楽なところも正直あるけれど、今月は大阪弁のぼんやりした言い回しに憧れた。確かに昔の映画なんか見ると大阪弁の方が上品に思えるけれど、今時のイメージだとそうでも無い気がするのは吉本のお笑いの影響とかもあるのかなとかも思った。勝手な東京人のイメージで大阪弁とガサツが繋がっていたけれど、実際のところ大阪弁のその言葉の少なさはむしろ艶に思える。仕事中に大阪弁の会話を考えて暇をつぶすのが最近は好きだ。
痴呆の芸術の話は結構身も蓋も無いことずっと言ってて良かった。陰影礼賛も言ってること自体は結構身も蓋もないところあると思う。変に大げさだし。
『岬』 著者:中上健次
正月に買ったのを漸く読んだ。これは超面白かった、ハマる気がする。言えることは特になし。めちゃくちゃに苛立った言葉は、生きることから受けた傷だと思う。西村賢太とかに近いものがあると思うけど、あれはもっと笑いに向かってる気がする。その辺は時代の違いもあるんじゃないかとかも思った。もう少し他の本も読みたい。
音楽
今月はライブも何本か見た。本当はもっと気楽にライブに行きたい。金がない。印象的なライブの話は多少した方が良いかも。
桜台POOLでライブを見て、一発で好きになった。シンプルで骨太だけど丁寧で、端々に神経が行き届いた繊細なロックバンドだと思う。仕上がりは真っ直ぐだし、気楽に聴ける音楽なんだけど、その上で最近自分の中で重要な”微妙”の概念を体現しているように思った。また近いうちにライブを見たい。ベルベッツのWho Loves the Sunみたいなコーラスしてる曲も良かった。
ここにきてついにこのアルバムの良さがわかった。なんか急にピタッとハマったような気がする。これ以降だとフリーすぎて微妙で、前のだとジャズすぎて微妙?なぜかこのアルバムだけ凄く好きだ今。
感情が動きすぎないのが良い気がする。それでいて、さりげなく大胆にも思う。ベースの単純なのが良い。ボーカルが急に入るのもカッコ良い。これを好きになって、俺はある程度古い音質がどうしても好きなんだなとか関係ないことを思った。
Womboが去年アルバムを出してたことに全く気が付いてなかった……。めっちゃ良かったです。最近のポストパンク系の中でも肩の力が抜けた感じが好きだ。アッサリしてるけど色々やってる音楽が自分は好きなんだと思う。Fire Talkのリリースは好みのものが多い気がする。前に友達に教えてもらったKassie Krutとかも同じレーベルらしい。田村の言ってたTonstartssbandhtもそう。彼らのアルバムにスペースメン3のカバーがしれっと入ってるのも好きだと思った。カバーを自分の曲みたいにアルバムに入れられるバンドはカッコい気がする。
今月はだいたいこんな感じ。美術館にもよく行った。印象的だったのは五島美術館の庭。あそこは展示よりも庭を見る場所だと思う。YBAについて思うことは、ポストモダンというのは、その世界の内部で小さい歴史がすごい速さで進んで終わるものなのかな、みたいな、10年単位で世界が変わるのはいくらなんでも早すぎるのでは?と思うし、むしろ本質的には何にも変わってないけれど、表層のものが落ち着かずにあれこれ動いて見せるから重要な問題に辿り着けなかったりするんじゃないかとか思ったりした。
しかし最近は自由に対しては慎重でいたいと思うし、これはロックバンドを今やることについてもそうだと思う。ロックや即興性を含んだ音楽が自由と結びついていて、それが即ち豊かである……みたいな図式が見えたときに猛烈に冷めるというか、それじゃ何に対しても批判力を持ちえないし、改めて、重要なのは何のメタファーであるかだと思う。
ライブで印象的だったのはジョントレのレコ発の時の宮坂遼太郎さんで、あらゆるものを音楽にしてしまうとはこういうことかと思った。なんでも音楽と言い張ることはできるけど、実際それを演奏のうちに収めるのは卓越した技術の世界だと改めて思った。最近少し軽視していたけれど、演奏は音楽の中でも最も重要な概念の一つなのは間違いない。この日のジョントレのライブも良かった。既存曲の連発や新曲も含めて、肝の据わった良いライブだと思った。もっと大きいところで演奏しているのが見たい。
今月はPSPで全員揃ったスタジオにも入れた。しばらくは忙しくなる気がする。アルバムの完成に向けて、やれることは全部やりたい。まだ告知してないけれど七月の頭にライブもやります。詳細も一応決まっててフライヤーが出来次第の告知です。録音予定のアルバムの再現ライブをする予定。まあ頑張って準備するんで来てもらえたら嬉しいです。一応このことはXに書いたりしないでください。
あと四月の頭にはcomputer fightのワンマンもあります。自分はサポートだけど、一生懸命演奏するんで見に来てもらえたら嬉しいです。

