あと数日でライブというところまできて、逆に気持ちが落ち着いてきたような気がする。先週ぐらいまで緊張が酷かった。演奏の不安とかはもう仕方がないし、たかが40分そこらのライブでしかないと思えば大したことでは無いはず。それより配るパンフレットの載せた文章を読み返して、今更これで良かったのか不安になってきた。最近のニュースで嫌な気分になることが多いのに、自分で水を差すようなことしてどうすんだとは思わなくもない。しかしまあ、問題意識の話は重要な気もする。
見た映画
『拝啓天皇陛下様』 監督:野村芳太郎
渥美清の映画が見たくなって見返した。言うこと無し。良い映画。長門裕之も左幸子も好きだ。こういう邦画を一生見てたい。豚と軍艦とか見返そうかなとか思った。
読んだ本
『不滅』 著者:ミラン・クンデラ
訳者が違うのにクンデラの文体についてものを思えるのは、そもそもの強度があるのもうそうだろうし日本の訳者は良いんだろうなとも思う。海外文学を気軽に楽しく読めるのはありがたい。
クンデラの文体は語られることを言葉より下の方に置いているというか、人間観にも同じような気分が流れているような、虚無的といえばそう言える気がする。存在の耐えられない軽さに比べて飛躍が多いのも面白かった。完全ロバとか宇宙人とかお尻の話とか、正直ラインは超えてるというか最早ギャグだとは思うんだけど、それが冗談であることによって、人生を冗談にしか思えない気分で成立した物語だとも思った。文体からしても構成からしても、軽さの話はできそうな気がするし、作品が丸ごと理念的であるとはこういうことだよなと思わないでもない。
『海炭市叙景』 著者:佐藤泰志
草の響きの原作者の小説を何かずっと読みたいと思っていて、古本市に200円であったから買って読んだ。良かった。飲酒運転するおじさんの話が好きだと思った。墓地公園の管理をしながら上司とセックスし続ける話も好きだ。最初のロープウェイの話も序盤の方ではまだ覚えられてたけど、段々触れられなくなってくるし、まあそんなものではあるよなと思った。野生の大麻を見つけたと聞いて会社を休む旦那もくだらなくて良かった気がする。安く見つけたら他にも読みたい。
『イワン・デニーソヴィチの一日』 著者:アレクサンドル・ソルジェニーツィン
これは本当に面白かった。途切れることなく進む文体の時間的な息苦しさというか、本当にこれだけのことが延々と繰り返されていくんだろうなみたいな壮絶さを感じた。小説にしてしまえば200ページなんてそれなりの長さがあるようにも思うけれど、たった一日を語るだけで10年語り切ってしまうような時間の凝縮は、収容所の人生はそれだけ画一的で自由が無いということな気もする。ソ連の共産主義について、世界の全てが工場のように細かく分業されたら生産力も上がって最小の力で必要な分を作れるみたいな発想なのかなとか思ったりした。
『初恋』 著者:イワン・ツルゲーネフ
こういうコケットな女の人って本当にいたのかなとか思った。作品の中じゃありがちというか、なんとなく男を弄ぶというか思わせぶりに振り回して、それでいてどことなく深い知性もあるような……みたいなのって妄想っぽさがあるけれど、実際のところはどうなんですかね。こんな風に振る舞ってる人が周りにいたらギャグにしか思えない気がする。時代的な大袈裟さもある気はするけど。
甘酸っぱいと言えばそうとも言えるような初恋の話から、どんどん死に引き寄せられてく勢いは古典の力強さにも感じた。面白かったから他にも読みたい。
今月は小説よりも他の積読を消化してた。俺がだらけてるせいで余計に時間がかかった読書会にも区切りがついた。俺はそもそもの知識量が少ないんだなみたいなことを最近は良く思う。
これ以外にはつまんなくて半分ぐらいでやめちゃったけどトルストイのクロイツェル・ソナタを読んで、この道徳意識と性の加害性が衝突して何もできなくなる感じは現代にも反復されている問題な気はした。くだらないとは思うけど。加害性なんて言葉は言い始めたら止まんないというか、全ての行動を封じるところまでいけるロジックだとは思う。あくまで指差し効果というか、隠れた構造を見抜くための概念なのではと思ったりもする。最近の話に限るかはわからないけれど、批判というものが行われる際に、その批判的概念を態度の問題にはき違える人が多すぎる気がする。あくまで批判は批判だし、そのための概念によって問題が止揚される必要は無い気がする。
音楽の流行について弁証法で考えすぎじゃないかとかも似たようなこととして思う。音楽批評アカウントが次に来るのは「フォーク(のぎこちなさ)」で無いか……みたいなことを言ってて、こういうピントのズレた考え方をするのも、流行を単なる現象では無くて小さな歴史だと捉えているから、遊びみたいな弁証法的思考に躍起になるのかなとか思ったりした。
その発想に従えば自分も歴史の参加者になれるわけで、あの手の批評アカウントは歴史の一部になりたい欲望の先走りを言論として弄んでるだけだと思う。彼らの卑しさは別にそれで良いとして、現代の左派的な批判もこの欲望に飲み込まれていく危険があることは指摘したい。批判はあくまで批判であるし、歴史は結果的に捉えられたものでしかない。
加害性の話に立ち返って、男性にとって必要なのは規範として過度に内面化することでは無く、あくまで公正さの視点を増やすことに留めておくべくなのでは。勢いを増す政治の偏りへの批判は重要であると同時に、その言葉と個人の距離が近すぎることにも同じぐらい問題がある。SNSが結果なのか原因なのかはわからないけれど、今の世界は言葉があまりにも重すぎる。今我々に必要なことは、その重量を引き受けることよりも、認識の転回の方にあるのではと思う。ポップ標榜系バンドについても同じことが言えるけど、この辺の話はパンフレットに載せたので省きます。
音楽
今月は色々聴いたけど別に凄く語りたいものがあるわけでも無い。光分解のレコ発は凄く良かった。月末は行こうと思ってたライブがいくつもあったけど結局一つも行かなかった。
友達に教えてもらった。くだけすぎてて笑えるんだけど、なんかここまで気が抜けてると良い。ピクミンの曲を作った人らしい。エキセントリックが目的にない変な曲って好きだなとか思った。パインコとイェーイも好き。
これも友達に教えてもらった。今月はそんなのばっかりだ。良い曲すぎると全てを乗り越えることができる。これより大事なこととか無い気がする。
毎回音楽の話が一番内容が薄い気がするけれど、まあそれはどっか仕方がないことな気もしてる。今月はほとんどギャラクシー500聴いてた気がする。workshopとかもよく聴いたから載せようと思ったけど、紹介が目的になる気がしてやめた。書きたいことがあるわけでも無いし。
自分のライブが近づいてきて、別に何か言いたい気持ちも無くなってくる感じがする。思うことは色々あるけれど、とにかくライブを見てもらって、それから色々話したい。


