ここ数カ月とにかく気持ちが腐っていて、何事も良い方に認められない日々が長く続いた。新しい音楽を聴けば病気にしか思えないし、人と話せば馬鹿に見えてくる。ここ二年の、思うような活動の出来なさの鬱積が陰険に拍車をかけていたような気がする。
もちろんそれにずっと気づいてはいたんだけれど、だからと言って改善しようとは思えないのが不貞腐れであるから、周りの幾人かにはそれなりに嫌な態度もとったと思う。
とりあえず人が良いと思ってそうなものをわざわざ悪く言ったりするのはやめにしたいですね。特に自分は単なる嫉妬や嫌悪感にそれなりの言葉を纏わせる悪癖があるから、少なくとも場を弁えた言動を心掛けたいと思います。
こうやって認めてみたところで気持ちが腐ったままであるのには変わらないし、何も楽しくはないけれど、しばらくはあらゆるものを保留することでやり過ごしていこうと思います。
見た映画
『草の響き』 監督:斎藤久志
良かった。原作も読みたい。病的な緊張の過ぎた後の、休まらない悲しさがショットに良く表れているように思った。気を逸らし続けることでしか生きていくことができないし、それでも急に死にたくなるような人にとって、何も思わずに走ることは一つの希望な気もする。
広々として寂しい空間的なショットも、感情の微妙な俳優の演技も、あらゆる詩情が静かなまま映像に託されていて、丁寧に作られた良い映画だと思った。あまりに良い映画だったから言えることが少ないけれど、サトウトシキの青空が好きな人は見て良いんじゃないかと思う。東出昌大は凄く良い俳優だとも思った。
『浮雲』 監督:成瀬巳喜男
林芙美子の原作を読んで、それで見た気になっていたけれど実は見てなかったから見た。俺はこういう高峰秀子が本当に好きなんだけど、それはなんか気持ち悪い気がしてきた。疲れた女の人が好きなんですよね。単純に言うと。
映画としてはこの時期の成瀬巳喜男の中なら珠玉の出来なんじゃないでしょうか。メロドラマの問題意識を完璧に捉えてるというか、溝口健二と比べてギリギリのところで大衆的な詩情に傾くのが正しくメロドラマを作っているように思う。単純に林芙美子の原作が破格に面白いのはある気がするけど……。
『動くな!死ね!甦れ!』 監督:ヴィターリー・カネフスキー
三年振りに見た。凄く良かったけど言えることが少ない。この環境で生きていたら狂うしかないよなとか思った。この環境で子供が大人になるのは並大抵のことには思わないというか、普通に頭がおかしくなって終わりなんだろうなというかそういうことを思った。他にも言えること色々あるんだろうけど、何か言いたくなる映画って気もしなかった。
『ひとりで生きる』 監督:ヴィターリー・カネフスキー
二階の窓から見えるセックスが豚みたいで良かった。関係無いけど前作の豚も殺されちゃうし。校長のセックスとか誇張された嫌な大人みたいな気がしないでもないのに、あんまり嫌な気がしなかったのは不思議。
こういう屑みたいにしか生きられない在り方を撮ろうとするのは、大抵そこに陶酔も含まれそうなものだけど、前作に引き続き環境がめちゃくちゃなんだろうな……みたいな薄い理解をしたまま突き放されて、そこになんとなく感動した気がする。
『ぼくら、20世紀の子供たち』 監督:ヴィターリー・カネフスキー
冒頭の工場でパンが生産されるシーンに社会主義的な含意を感じた。マルクスの思想って基本的に下部構造での人間の関係を抽象的に捉えきるところから始まるから、いつの間にか人間も生産されるモノのように扱われだす気もするし、そもそも資本主義社会の成立のために自由が不可欠である以上、自由概念の止揚がなされない限りマルクス・レーニン主義は地獄の全体主義社会に向かっていくものではあるのかもな……とか思って見たりした。どうなんですかね。
印象的なシーンが多すぎて感想が難しいけど、子供は環境に応じて育つだろうし、必要があるなら盗んで殺してシンナーも吸うし、それは遊びじゃないだろう。人生を愛してれば人殺しはやらないのなら、殺しをする子供は人生を愛していないだろうし、それは間違ってもいないような気がした。子供が人生を愛せないのは悲劇としか言いようがない。
恐らく一番の肝である二人の再会のシーンについては言えることが少ない。映画を完全に飛び越えてしまっていて、この三作で揺さぶられた感情は批評の俎上に乗せにくい気がする。高い金を払って見に行って良かったとは思った。
読んだ本
今月は読んだ量が多いから感想を書くのがめんどくさい。なるべく手短に済ませようと思います。思想系の本読んだりとか人生で初めて詩集に手出したりとかしたけど感想はだるいから省きます。俺に言えることない気がするし。
『地球星人』 著者:村田沙也加
相当面白いんだけど、村田沙也加って最後に決定的な疎外に決着を見つけようとする癖があるというか、それが毎回怖くて心の底から好きになりきれない。まあ簡単に社会と和解できるような人の書くものではないのもよくわかるからそれで嫌いになりもしないんだけれど。
夫が離婚の時に言う、「これで、僕たちは分断された。もう家族でもなんでもない。一匹ずつただ生きているだけなんだ」ってセリフが良いと思った。我々の分断を祝福するためにはあらゆる幻想を無に帰す必要があるのかもなとか思った。
『日本の名随筆 顔』 編者:市川崑
平林たい子の文章が載っている本があれば基本的に買うようにしていて、駒場の古本屋にこれがあったから買った。本当は全集を買うのが一番良いし、今ヤフオクでまあ買えなくもない値段で出てるんだけど、場所も取るし勇気が出ないので買えていない。不美人論は良かったけれど、この人はフィクションの形式を取ることで輝く作家に思えた。逆に言えば彼女の小説にはその哲学が惜しみなく生かされている証左でもある。
良かったのは遠藤周作の禿の話。顔の話だから昭和の中年は揃いも揃って本当に失礼なんだけど、この人の卑屈でいじけた失礼さと、そこから妙に良い話に飛躍するユーモアは読んでいて楽しかった。
三島由紀夫の美容整形についての話は、この人はよくもまあなんでもデカダン風味の濃い気分でものを描けるなあというか、美容整形をする医者は確かに神をも恐れぬマッドサイエンティストなんだろうけど、題材のくだらなさと相まって楽しい読み心地だった。日本人の随筆は大抵乾いた調子にユーモアの混ざった哀感でまとめるように思うけど、一人だけ全く違う方向を向いていてそれが面白かった。
『川端康成随筆集』 著者:川端康成
この人はいくらなんでも死を見つめすぎなんじゃないかと思った。『末期の眼』から始まってとにかく死ぬこととか自殺について書き続けていて、凄く好きだったんだけど思い返すと暗すぎる。ただ読んでいて全くそんな気がしないのは、虚無と感傷の水際を見極める俯瞰の能力故な気もする。
”死についてつくづく考えめぐらせば、結局病死が最もよい”のはわからないでもない。あんまり考えたいことではないけれど、苦しんでいるうちに死ぬ方が反って気楽なんじゃないだろうか。
自殺もたいしてさとりの姿では無いのもまあ真実だろう。世を儚むことはつまり死に憧れるということではない気がするし、なんだか発想が単純にも思う。それ故に力強いのが自殺の魅力なのも事実だとは思うけれど、死を行為の内側に収めてしまおうという発想は少なくとも日本的とは言い難い。
ただこれを書きながら、主体的意思に基づいた自殺行為ではなく、単なる自然との関係における現象と結果としての自殺を想定してみるのはどうだろうとか考えてみた。言葉遊びに過ぎない気もするけれど、死を目指さずにされる自殺でいてそれが事故では無いもの、ぐらいの言い方にすればあり得なくもない。飛び降りることが目的で、死ぬことは結果でしかないとかならそれに含まれても良いんじゃないかと思った。まあこれも飛び降りる目的がある時点でそんなに変わらないのかも。生きることが尊いこととは全く思わないけど、死ぬのもくだらないのが本当なんでしょう。
例えば俺は『万延元年のフットボール』の鷹みたいな自殺をそこまで好きとは思えなくて、もちろん気持ちはわかるけれど、理性や意思で膨張しきった結果の破裂みたいな自殺は、同時にセックスの匂いが濃すぎるような気がしてなんとなく眉をひそめたくなる。戦争に行って死にたい人、みたいなロマンスの延長に捉えるのはいくらなんでも身も蓋もない感じ方だろうか。
川端康成が良いと思うのは、少なくとも大江的な死とは全く違った方向を向いているし、恍惚としたものが含まれないから性や死が倒錯しても静かなのが独特に思う。その感じは随筆でも変わらないと思った。
『日本文学集 堀辰雄』 著者:堀辰雄
川端康成の随筆で名前が挙がっていて気になって読んだ。嫌いじゃないけどハマれず。佐藤春夫もそうだけど、こういう田園小説的?なノリにハマれない。ほのかに幻想的な雰囲気がするというか、夢見心地というか。軽井沢みたいな空気に俺は全然憧れない。燃ゆる頬も麦藁帽子も良いと思ったけど、良いと思っただけでもある。時間をおいてまた再挑戦したい。
『月の塵』 著者:幸田文
よくもまあここまで生活を愛せるものだなみたいな感心がある。白けてるとも違うし、かといって軽いものではあるし、古風で日本風な洒脱さってこういう態度な気がする。チャキチャキしてる、みたいな。読んでると嫌いじゃないのに書いてるとムカつくかも。あとはまあ幸田露伴の小説を読んだことが無いから読んでみようかとか思った。
『日本文学集 横光利一』 著者:横光利一
良かった。日輪だけ何故か飛ばして、南北、蝿、静かなる羅列、春は馬車に乗って、上海、機械、紋章、微笑を読んだ。正直南北とか蝿とかは全然好きじゃなかったんだけど、春は馬車に乗ってぐらいから好きになってきた。世界の全てを馬鹿にしてる人というか、まあかなり嫌な奴だろうなと思うんだけど、途中からその刃が自分に向かい出してどうしようもない詩情が生まれだしてるような気がした。
特に好きだったのは紋章で、雁金のどうしようもないお人よしさは流石に美しく感じる。四人称小説を目指してたとかで、言われてみると確かに主人公の視点なのか神の視点なのか、あやふやに交じり合ったのが小説に不思議な距離感を与えていたように思う。
あとは全体を通して社会主義に対して白けてるというか、マルキシズムに冷笑的なのは当時的だったのかなというか、今で言うリベラルの活動が胡散臭く思えるのと似た感覚なのかなとか思ったりした。
確かに純粋で感じやすい人の流れる情動の罠、みたいに見えなくもないし、性の問題が完全に欠如してしまうのが運動家の欠落と言えなくもない。政治を考える上で、俺はセックスを考えることは重要な気がしていますが、吉本隆明とかこういう話してなくもない気がしますね。上海を読んで思ったことです。
遺作の微笑は良かったけど、この悲哀は戦争協力を非難された作家だからこそのものだと思うと余計に寂しい気がする。もはや何も語ることの残っていないような空虚さは、これも末期の眼のなせる業なのかもと思うのはそれが遺作であることを知った上でのこじつけだろうか。まあ言おうと思えばいくらでも言えてしまう概念な気はする。
『古都』 著者:川端康成
今度大阪にツアーで行った後に京都を観光しようと思っていて、それなら行く前に読もうと思って読んだ。結果観光の役には立たなさそう。平安神宮は行こうと思うけど、この本読んだなら見たいのは祇園祭な気がする。
まず文章の不思議な軽さというか、飛躍具合に驚いた。出会うことのない二つの幹に咲いたすみれに気付かない人の話をしたすぐ後に、”しかし、蝶は知っている。”に視点が飛び移るのは、かなり離れ業に感じるというか、全体的に不思議なうつろさ、漂う感じがあると思った。
そっくりな二人の他人を間違えるのは、全然関係ないけど∀ガンダムを思い出した。全く関係ないのはわかるけど、作品に漂う幻、うつろさに絞ってみれば共通されるものも見当たらないでもない気がする。どちらも老齢の作家が死に接近しながら作った作品ではある。ディアナもまた壺中の天地に喘ぐ女と言える気はする。まあこの二つがどっちも好きな人は少ない気がするから好き勝手言って良いのかも。
『現代語訳 竹取物語』 訳:川端康成
読んだこと完全に忘れてた。古い話を読むと和歌を送り合ったりしてるけど、ラインの返信来ないみたいなノリがあって良いねって思う。他に読んだことあるのって蜻蛉日記ぐらいだけど。
川端康成の日本語は読んでいて気持ち良いし、話も簡単で良かった。高畑勲の映画のことも思い出しながら読んだ。源氏物語とかも読んでみたい。
音楽
本当に今月は音楽を聴かなかった。というかバンドのスタジオの録音とか、そんなのばっか聴いてた。完成するかはわからないけど、一応アルバムを作ってるのでそういうことになりますね。ラルクとか聴いてました。
ちょっと前に友達がカラオケで歌ってて、それで好きになって今月はよく聴いた。ラルクのベースって多分本当に良くなくて、1+1が2にしかならないベースを弾いてるというか、低域でコード感を演出してそれがいくらかの音符に分解されています、みたいな本当にどうでも良い演奏なのが気楽で良いと思った。歌が凄く良くてあとはどうでも良い音楽ってJ-POP的というか、これで他の音もカッコ良かったら逆に損なわれるものもあるんじゃないかとか思わないでもない。ほとんどの人は音楽の複雑さに耐えられないんじゃないかというか、その大衆性をある程度引き受けて成り立つジャンルなのではというか。まあ素人がわざわざ憧れるふりをするのはあんまり健全じゃないと思う。好きなのにめちゃくちゃ悪口言ってる。
Television Personalities – Are We Nearly There Yet?
友達に薦められてきいた。歌がヘロヘロすぎるけど曲が良すぎるからギリ泣けるの、ギリ笑えるに傾いてる曲だと思った。流石にアウトでしょこの歌は。でも好きだ。あり得ないから。しかも全然ファーストとかじゃなくて結構キャリア積んでからのアルバムの一曲目だし。アルバム通してはもうちょいまともだけど、結構スカムとの境界線歩いてる気がする。
たまに訪れる高田渡ブームでアルバムを聴いてたらこの曲が良いと思った。こういう身もふたもない曲が好きだ。なんの話なんだこれ。
今月はこんな感じでした。自分の音楽についてはガセネタのライブが印象的だったけど、何か言えることは少ない気がする。正直言って最初のメンバー以外はどれだけ名乗ろうとガセネタでは無くて、今回の自分たちも全く本物では無くて本物であるという遊びでしかない気がして、自分としてはあんまり乗り気ではなかったんだけれど、結果としてはやって良かったと思う。
40年も前の曲を今になってもやる人の気持ちは俺には全然わからないし、俺の周りにはわかる人は一人もいないと思う。まあでもそれは恐らく超個人的なもので、生半可では無いんじゃないかと思った。
10分以上のインプロは全然ガセネタじゃないだろうし、それに軽く文句言ってる人がXにいてそれが少し嬉しかった気がする。正直田畑満がベース弾いてるやつの方が絶対めちゃくちゃだと思う。また機会があればやりたい気がする。

